絵描きのホームはあるのか

いま考えたかぎり無いような気がしている。

ホームてあれですよ、どこのイラスト投稿サービスがいいとかそういう話ではないですよ。
ホームアウェイのホームといいますか、同好の士が集まった時のホーム感があるかどうかてことです。

そして自分には絵どうこうじゃなくて全体で考えても、ジャンル的にここなら安心できるというホームがない気がしている。

ということについて考えてみた話です。特に明るい話ではないです。儂は明るい話をするのが苦手ですが、暗いことしか考えられなくとも、そこからなにか気付きを得られないか?とはいつも思ってます。

人間味のあるブログ記事だとは思うが。つまり不完全で、混沌としているということですが…。昨今人間味のあるものって少ないよな!だからいいのでは?(別によくはない。その失敗例を炎上という)

こんな宇宙の果てでは火の粉ひとつもないと思いますが。

 

いきなり何の話だ、って投稿するネタが無いのでふと思いついたことを言ってるだけなんですが。

人生で一番長く続けてるのは絵を描くことですが、絵という分野って別に知識を共有してそこでグループができて育っていく、というものじゃない気がする。

絵描きはいろいろ居ますから、交流が得意な人もいますが、コミュ障だと一生一人で作業する感じがある。
わからんけど小説もそんなかんじはある。

そしてどちらも段階的な成果が一切無い。

自己満足か、それとも収入を得られるものになるか、この2つしかない。
究極的には。

成果として認められるタイミングが少ないというのは自尊心を育てるチャンスが少ない、というのと似ていると思うのですよ。

テストで1位を取るとか、学んだことを個人の美的感覚とかじゃなく学問のレベルとして知識量に基づいて評価されるとか、大会で自己ベスト記録を更新するとか、そういうことって自尊心につながりますよね。

でも芸術は数値化できないし、なにかの事実を観測したものでもないので、自分の満足と他者の評価しかない。簡単に言えば。

そして数値化や体系的知識にして評価できないことは、つまり絶対的じゃないということなんですよね。

自分でよくできたと思ったものがしばらくすると全然良くないわと思ったり、前好きだった絵やマンガや物語が好きじゃなくなったり。

今現在の時点が常に真実であり、それ以外は関係ないので、一度良いと思ったり思われたからといってそれを永久に人生の自信にすることは出来ないんですよね。

だからその瞬間には自尊心を支えてくれたものが後で自尊心を破壊する原因になったりもあると思う。

数字であれば、たとえば記録なら破られても嘘だったわけではないので、若干価値が下がることはあっても消滅はしないですよね。

学問的知識については、間違いだったと後々修正されることはあるが、過去の時点では全世界の人間がそこまでしか理解できていなかったのなら、それはどうしようもないですよね。その時点のベストを尽くしていて、その中で評価されたことは、その時点での最高点であり、知識の一部や歴史として積まれるので、無意味ではない。

極端な例を考えてみると、やっと火を使い始めた人類を見て、コンロで焼けば簡単だし便利なのに焚き火で焼いててマジしょーもな、とか言わないですよね。

間違いだったと後でわかるというのを表現するとしたら、初めてふぐを食べた人に、内臓は毒があるのになんで食べるかね、アホだわ、とは言わないだろ、というような。

とにかく。
そういう感じだと思うんですけど、芸術とかポップカルチャーにおいて”かつて評価されたが今はされていないもの”にどれだけの意味があるか。

芸術史に残るようなものなら、意味はあるでしょう。ポップカルチャー史であっても意味があるという点では同じかと。
今はまあ人気出ないかもしれない。好きな人も少ないかもしれない。けど辿ってきた変遷として語られるような作品ならそれは立派だと思います。

でも歴史とか変遷という規模の視点になると、そこに名前が残る本当に一握りの人にとってしか意味がなくなる。それ以外の無名の創作者たちにとってかつて評価されたスタイルとかは、今直接は役に立たないですよね。

とにかく芸術とかポップカルチャーだとかは、今に一番意味があるのであって、新しさに意味があるのであって、進歩しなければ死ぬ。
それはいままで積み重ねてきたものを前提とした今であり、今までの歴史それ自体は無価値にはならないが、歴史が頂点であってはいけないというか。
師匠は偉大でも、いつか師匠を超えなければいけないというか。

過去に流行ったものとかでも、世代が入れ替わってまた目新しいかんじで受け取られれば人気が出ることはよくありますが、なんらかのアレンジがあったり、変化や進歩があるはず。

そういう世界だから、過ぎ去ったものは基本的に、意味が減少していくのだと思います。歴史や変遷の節目として名前が残らない多くの創作をする人々にとっては。

見る人や時代が違えばもっと人気が出たかもしれない、というものはあるでしょうが、そういうのは当人が生きてる間には関係ないこと多いですよね。
受け取る側に立てば、埋もれた名作が発掘されることは意味があると思いますが、そういう発掘って稀な現象ですよね。
だから過ぎ去って名前も残らないようなものは、基本的に、意味がなくなっていく。

絶対的指標がない。
絶対がない。
だから過去を糧に自信を持ったり、自尊心を育てていくことができない。

 

そういう分野だから、それを原因として、絵描きというのは大なり小なり不安を感じることがあるんでないかと。そして絶対的ななにかが無い世界では、正解がないということなので、なにが有益でなにがそうでないかもそれぞれ違ってくる。
(絵のtips、便利技とかは天才なのかと思う役立ち情報多いですが)

そういう感じだと、人と人をつなぐ共通点や、共感できることが減りますよね。
だから分野が同じ人間が集まってもホーム感が出ない、ということになるのかなと。

絵を描いているというのは同じ学校に行っている程度のことでしかないのかなと。
同じ学校の人っていうのは、年齢も学校も違う人よりは親近感を感じますが、それ以上のなにかはないというか。
クラス全員が友達だったらホーム感ありますが、友達一人もおらんぞ、という状態で同じ学校のやつらで集まった時にホーム感は感じられないと思います。むしろ恐怖。
だから同じ学校ていうのはそれだけではホーム感の助けにはならない、と言えると思います。

 

そういうわけなので孤独感があります。コミュ障はただ孤独なだけです。
他人を認め、自分が認められ、という相互の気持ちの交換というものもなく、絵描きという学校には助けてくれる先生もたぶんいません。カウンセラーとかもいません。保健室のベッドも休みたかったら自分でベッド用意して寝ろ、に近いシステム。
ただ自分のみ。話しかける行為や対人能力があれば学校は楽しくなるが、なければ学歴や成績を取得するだけの場と化す。学校とはそういうところですよね。
しかし絵描きの学校の場合、通い続けても学歴や成績が取得できる保証すらない。

勉強すること、つまり絵を描くことが楽しくないと、単純に考えて地獄。

 

だから、つらくなったとき、自分にも他にホームがあればいいのになと思い。
でもねぇわ…ホームってのは自分が長く居る場所、なにかを培ってきた場所、しかし絵以外にそういうのなかったわ。

それにそういうかんじだから、自尊心もねぇわ…

 

つらいですどうしたらいいでしょうか

っていう泣き言なんですけども結局は。

まあこのように考えるのは、事実かどうかというより、やはり自分がネクラなせいかもしれないですが( ˘ω˘)
なるべく客観的に考えたら、これって絵ってジャンルのせいもあるんじゃないの、と思ったので考えて書いてみたわけです。

こういう話をしてる間になんかもっと有意義なことをしろよと思うんですが、それができたら本当にそうしたい、という。
進みたい気持ちだけがあるというのはほんとうにひでー状態ですな。

 

まあここまで言っておいて、絶対がない、というのは圧力も縛りもないということなんで、だからこそ好き勝手できるというのがありますが。
絶対的失敗もない、のかな。犯罪を犯したとかいうんでないかぎり、あいつはやらかしたから今後もだめだ、とかいう評価もない。

そしてなによりも
ホーム感がどうのとか、自尊心がないとか、そういうのは結局
絵を描くのが楽しければマジでどうでもいいことになってしまう。

さっき絵を描くことが楽しくないと地獄と言いましたが、それは
逆に、絵を描くことが楽しければOKになっちゃうんですよね。簡単に。

問題は常にそこだという気がする。それさえクリアしてればほぼクリアしたようなものというか。
楽しいことしてたらそれだけで最高じゃないっすか。
それは文を書くのでも、なんでも自分が楽しいと思うことは全部だが。
金銭に換算できない価値がある。

その気持ちが不安定すぎてほとんどオフになっている時にどうすればいいかということですな。

オフになっているから、他にホーム感や自尊心が自分を助けてくれたらいいのにと妄想する。しかしそれはできない。結局はそれがオンになっていさえすればいいんだと結論する。でもオンになっていない。つらいなぁ。で最初に戻る。
みたいな堂々巡りですね。

ハインラインの『輪廻の蛇』レベルの永久機関な気がします(そんな永久機関いらんのだが)

朝5時までこんな話をしてても出口はない(そらそうでしょーね)

でも絵描きは同じ学校に行ってる人と同じようなもんではないかとか、だから絵描きのホーム感がないのではないかとか、そういう自分なりの考え方は逆に気が楽になる感じはありましたが。

孤独な時やつらい時に一番嫌なのはなぜ孤独なのか、なぜつらいのかがわからないことだと思うので。
なぜそうなっているか少しでも理解してたり、選択した上でのことだったらだいぶ楽だと思われる。

投稿者: Ugo

Posting my original novel. Eager for the world of other sun.

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