No One’s Hand

掌編小説。主人公は誰もいない朝に目覚める。

誰の手にも

No One’s Hand

2020

西村 烏合

 

誰もいない朝だった。
もちろん駅にも誰もいない。
「拡張モニターを使用しながらの歩行は危険ですのでおやめください」
誰も聞いていない。わたし以外は。
「2番ホームに電車がまいります。黄色い線の内側に下がってお待ちください」

 目の前に停止したドアが開く。清潔な車内にはゴミ一つ落ちていない。誰も乗っていないから。右も、左も、乗る者もいないホームに向かって口を開ける電車。
「ドアがしまります」警告音に続くアナウンスのあと、電車は来たときと同じ空の状態で景色の向こうに去っていった。その最後部にも、もちろん誰もいない。すべて自動運転だ。
 誰かがスイッチを入れただけの、とてつもなく大きな模型の電車みたいだ。
 実際そうかもしれない。
 人が捨てるゴミがないのは当然だけど、埃や、雨や泥の汚れすら無いのは清掃機械が稼働してるから。
 ここには誰もいない。でも町はすべて誰かが居た時のまま動いている。汚す人もモノもないまま、動き続けて、この町のすべては隅々まで塵ひとつない清潔で、完全な美しさを実現している。
 たとえばこのホームだって、線路に落ちているゴミなんて一つもない。空き缶、お菓子の袋、なにひとつない。ホームを出ても同じこと。
 くもっていたり汚れているガラスや鏡なんてどこにもない。ビルも店も。凹凸もひび割れもない真っ白な石畳の道。空のごみ箱。指紋のない手すり。真っ白な道路の白線。 太陽光や雨や雪だけが塗装を侵食する。だけど整備機械がちゃんと元通りにする。
 だけど、その白線を踏む足は、わたしの足だけ。それ以外にはない。その白線の上を通過するタイヤは、自動機械の車両だけ。
 信号は赤と青を繰り返している。繰り返しても意味のない時間のほうがずっとずっと多いのに。
 朝焼けにつつまれた町はまだ少しだけ寒い。昼になれば、暖かくなりそうだ。
 だけど、誰かが家から出てくることはない。見渡す限り誰も居ない道路、交差点、商店街、もはや交通機関ではない電車が来ては過ぎるだけの駅からも誰かが現れることはない。
 変わらない世界。電気を供給するシステムさえ壊れなければ、きっとずっとこのまま。
 誰も使うことはないのに、誰かが使っていた時のまま動き続ける。
 模型の箱庭。わたしだけの模型?ちがう。わたしはスイッチを切れないし、入れることもできない。誰かがスイッチの前に居たとしても、居なかったとしても、すべてが自動化された繰り返しでしかないとしても。どうすることもできない。

 でも、今と何が違うんだろう。
 「ごはんできてるから降りて!」
 いつもと同じ目覚めの悪い朝だった。冷めちゃうから早くして!急き立てられ、わかってるよ、と返事をする。
 わたしは今日も戻って来られた。でもスイッチの前にじゃない。だったら何が違うっていうのか。

 いまここに、それか、いつかどこかに、誰かがいる。
 それが目覚める意味で、それが可能性なのかもしれない。
 自分も含めてここに生きている人々が、スイッチなんだ。

 

 

投稿者: Ugo

Eager for the world of other sun.